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二十年前の給食

二十年前の給食

二十年前の給食
 2月のコラムに「給食ノート」のことを書きましたが、当時の給食カレンダーも一緒に見つかりました。給食カレンダーは教室掲示用の献立表で、家庭配布用の献立表とは別に作成していました。その時の学校では、給食主任の先生が作成してくださいました。
さて、20年前の給食献立はというと季節に登場する献立などは今とあまり変わりません。2月なので、<節分献立>「大豆ごはん、イワシの甘辛煮」や「ワカサギのカレー揚げ」、「いかめし」、「大根のグラタン」、「茶飯、おでん」「しじみの味噌汁」など。郷土料理の「しもつかれ」も出していました。それこそ、オリジナルに近い状態で出しました。酒粕は子供にはかなり抵抗があったようで、ド~ンと残ってきて、給食室一同落ち込んだことを今も覚えています。なので、オリジナルを敬遠して「〇〇風」としたかったのです。そうすることによって、オリジナルのことも紹介できると考えたからです。
 今と変わったことといえば、パンと米飯の回数でしょうか。当時は、2月18回中ーパンが8回、米飯が7回、めん1回、学年お楽しみ献立2回(内容が不明)でした。また、米飯は、ほとんどが混ぜご飯など味付きごはんで、白いご飯2回は、チキンカレーライス、親子丼でした。そのことがどこかで、何らかの形で改善していこうという意見が出て、米飯の回数の半分は、白いご飯にしようということになりました。(かけごはんは除いて)品数は今のほうが一品多いです。区によって学校によって給食費も、使用できる食器の数も在庫している種類も違いますが、3食器以上使用できるところはまだまだ少ないと思われます。

コメント

  • 20年前

    20年前の給食ですね~ほとんど忘れています。
    あの頃は、献立については、新献立は何かないかしら?と友達に聞きまくって
    いたことを思い出してきました。
    パンは、お盆の上に直接のせていましたが、パン皿にのせるようになった時
    期と思います。食器は、2~3皿ですね。4皿だすほど食器が無かったです。
    今は、4食器使用の献立(主食、汁物、主菜、副菜、デザート)ができるので、
    うれしいです。
     また、食の授業は、H校では分からないながらも無我夢中にやっていました
    が、その後のT校では先生方に教えていただき、少しずつ成長していく自分が
    いました。あと、パソコンで、ワードの使い方も徐々に覚えて指導案や研究の
    まとめを作成していましたね。懐かしいな~


  • 22年前の出来事(平成の米騒動)

    平成5年(1993年)の米騒動覚えていますか?
    記録的な冷夏により米不足がありましたよね。この記録的冷夏はどうして起こったのか、それは20世紀最大級ともいわれる1991年6月のピナツボ山の噴火が原因となり発生したと言われている。大量の噴煙や火山灰が大気圏内に放出され、夏の気温が平年より2度から3度以上下回ったことと、エルニーニョ現象が重なったためとも言われています。
    我家ではこどものお弁当(2人分)を作るのにいろいろな手段を使って米を購入したこと、それでも無くてタイ米を食べたことを思い出しました。TVでは毎日美味しいタイ米の調理法など紹介されていましたが、日本産の米のありがたみを身にしみて感じたことを思い出しました。
    その年は公務員を退職し新会社を設立して2年目でしたが、当時の給食ではどうしてたのかな? その当時東京都では米飯週2~3回でしたよね・・・・記憶っていい加減ですね。


  • 22年前の出来事

     米騒動は、給食では影響があったのかしら?タイ米を給食に出した記憶がないです。給食会に大量のコメが備蓄されていたんでしょうか?
    この頃はすぐに思いだせないです。時間がかかるようになってしまいました。
    我が家では、田舎から送ってもらっていました。実家ではあらゆ手段を使って買い集めていたようでした。
    当時の給食では、米飯は週2~3回でしたね。現在は4回と増えてきました。
    米飯も和食、中華、洋食とメニューが豊富になってきた~と感じます。



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